私たちが結婚して、もうずいぶん月日がたち、もう結婚記念日と言っても日常生活の一日にしかすぎない。
でも、区切りとして二人の歴史を振り返る日でもあるので、こうして日記を書いている。
出会い
そもそも結婚のきっかけになったのは、同じ職場で一緒にプロジェクトをやったことなのです。
最初、彼が赴任した時には「生意気で感情がダダ漏れの奴」という印象だった。
機嫌のいい時と、不機嫌な時が手に取るようにわかり「勘弁してくれよ」だった。
先輩の指導してくれる方にも、はなはだ失礼が過ぎているので、我慢できず抗議したことがある。
抗議というか、文句を言った。
すると彼の反応は、とても素直なのである。
自分が悪いと分かると(納得すると)、即行いを改める。
それは、私にとっては驚くべきことだった。
「わかっちゃいるけど、変わらない」
というのが、人間の弱いところでもあるように思っていたから。
私が、その部類に入る「弱い、意識低い系」人間なので。
だから、そんな人もいるんだという感じだった。
それから、何度もそんな場面では、思ったことを言うことにした。
いつも、受け入れられるとは限らないが、意見交換と言えば聞こえはいいがほぼ喧嘩になることもあった。
でも、ふと気づくと「大人になってこんな喧嘩したことないな」
と思った。
つまり、思ったことをほぼ言える相手だったということだ。
プロジェクトを二人で成功させた
その年の年度末、一大プロジェクトを二人で企画、運営することになった。
ここでも、お互い意見の食い違いは、とことん話し合い、より良いものにしようとした。
その時の彼は、誠心誠意その仕事に向き合い、自分では考えつかないアイデアを出し、それが複雑でも実行しようとした。
仕事に対する誠実さに、初めのころの感情からリスペクトに近いものに変わっていったことは事実です。
結婚を決めた
決め手になったのは、彼の誠実さに他ならない。
仕事ぶり、仕事仲間に対する向き合い方を見ることで、この人は誠実に生きていることを知る。
最初の不機嫌さも納得いかないことに、上手に対応できないことの表れだったことがわかった。
今でも、それは変わらず上手に振舞う人ではない。
また、目指すことは一緒でも性格が全く違うのである。
趣味も違う。
「あ、そう来る?」ということがたくさんある。
それは、私の世界を広めてくれ
「なんか、人生二倍生きていける」と思った。
そして、何より彼とだったら何があろうとこれから先の人生を乗り越えていける。
と思ったからです。
うーん、こう書くと頼もしい(笑)
そして
「人生は、全て私のchoiceです」を見たのは、当時、ALTの先生をしていた方のインタビュー記事。
確かに、江戸時代じゃあるまいし、政略結婚や身売りなど特別なことがない限り、自分の人生は自分で選べる時代。
自分で選んだ人生だから、自分で責任を持つ。
そう思いました。
子供ができ、成長する過程で、いいことばかり、楽しい事ばかりではありません。
共働きの子育ては、きつい。
働き方改革などない時代だし、そもそも職場で残って仕事を済ませ、家では家庭生活に専念したいと思っていた。
子供の迎えの時間や病気での早退では、結局、持ち帰りの仕事が増えたり、職場の周りの方々に協力してもらわないといけなかった。
幸か不幸か、私の体は丈夫だった。
精神も絶妙なバランス感覚で、病む同僚に申し訳ないけど、ピンチな時でも痩せはしたけど、病むことなく勤めることができた。
これは、両親に感謝したい。
結婚って
結婚は、まだ続きそうだ。
私の中で、別れる理由がないから。
彼は、時々大喧嘩した時「離婚したらいいやんか!」という。
ところが心の中で、離婚する時の理由がある。
- 金銭で不正をした時
- 私の大切な人をないがしろにした時
- 彼に好きな人ができた時
この3つ。
それ以外は、二人で乗った船から降りるつもりはない。
結婚記念日おめでとう!
私たち。
赤の他人だったのに、よく頑張ってるよね。
一応、「世界で一番大切に思ってます」と彼からメールが来ました。
ということを、付け加えておきます。