この映画を知ったのは、インターネットラジオ「夜のまたたび」でAV監督の二村ヒトシさんが紹介されていたからです。
公開は、去年夏に友人でこの映画のプロデューサー・撮影・脚本の真野勝成さんと共同プロデューサー・構成・編集の佐々木誠さんが全国を回って上映されています。
諸事象で観ることはできなかったのですが、今回映画.comで配信されたのでようやく観ることができました。
主人公イケダ
四肢軟骨無形成症で身長112センチ、末期がんと診断された池田英彦さんの初監督、初主演作で、池田さんの性愛をリアルに映し出したものでした。
障害、癌とくればとても悲壮な印象ですが、この映画は、そうではなく途中から池田さんの障害のことを忘れてしまうような気持ちで観ていました。
スキルス癌を宣告され、親友の真野さんに自分の性愛、ダークな部分を撮って亡くなった後に映画にしてほしいとたくしました。
ダークというよりピンクと劇中で真野さんもおっしゃってましたが、まさにその通りだと思いました。
どんな映画にするかは、すべて真野さんに任せていると親御さんにも話され、真野さんの権限を侵すものは自分の遺志ではないとまで言われ、いわば遺言を受け取ったようなものですね。
それだけ、信頼関係がある真野さんとの会話では、池田さんの本音のようなものも映し出されていました。
「障害者は頑張らなくてはいけない」「障害者は清廉潔白でなければはいけない」「障害者は人の世話になって生きている」などという、世間にありがちな思いを軽々しく飛び越えた映画だと思いました。
池田さんご本人には、いろんなコンプレックスがありそれも映画の中で感じ取ってほしいものです。
愛ってなんだ?
劇中で池田さんの言葉に「愛してるってわからない」というものがあります。
たとえ家族があってもいつも「愛してる」と思っていますか?
私は、そうではない。
子どもには、伝わってほしいのであえて口にだして言うこともあります。
しかし、夫や血のつながりのある家族に「愛してる」と言ったことはありません。
時に、孤独を感じたり、憎しみまではいかないまでも複雑な思いを感じたりします。
もちろん、幸せを感じることもありますが。
だから、いわゆる「愛」って何だろうと考えました。
また、池田さんは「関係性」「相手があるから」と何度か言われていました。
そこに彼が障害があること、余命いくばくもないことを考えて誠実さを感じるのですが。
この映画では、一部恋愛ごっこのフィクションが盛り込まれています。
恋人役の毛利悟巳さんに告白されるのですが、その時の池田さんの反応は脚本にないものだったようです。
そこで語られたことは、素の池田さんの本音だったのでしょうか。
そうだとしたら、同じような思いが私にもあります。
実際の恋愛や生活を伴った結婚は、なかなかシビアなものなので妄想だけでよかったのかもしれません。
血のつながりより関係性
先にも書きましたが、相手との関係性を持ちたかったので、疑似恋愛でもそこに踏み込めない。でも、人肌は恋しいので風俗に逃げ込んでしまう。
風俗店での二人の映像が流れますが、なぜか切なく感じました。
きっと、心を通わせた相手と毎日でもセックスしたかたったのではなかろうかと。
三月の初め、私の父は亡くなりました。
同じく癌で在宅緩和医療に移行してました。
もう長くはないと分かったので、認知症が進み介護施設に入所している母を会わせようとしました。
それまで父は、かたくなに「会いたいけど、こんな姿になった自分の姿を見てショックを受けるのはかわいそうだから、会わない。」と拒んでいました。
とても悩みましたが、在宅看護に来てくださってる看護師さんに話を聞いてもらうと、
「子供は、自然に生まれてくるものだけど、夫婦は、お互いの意志でつながっているものですからね…」と。
この言葉に後押しされ、このコロナ禍で外出は禁止されているのですが、施設の特別なご配慮といくつかの制限を守りながら、亡くなる三日前に会わせることができました。今まで頑固な父も「お母さん連れてくるからね!」という言葉には、大きくうなずいてくれました。
これまでの夫婦の歴史で私たち子供が知らないこともたくさんあったことでしょう。
それでも、「関係性」を続けてきたことが、もしかして「愛」っていうんじゃないかなと思いました。
「イケダ」の遺したもの
たまたま、四肢に障害を持って生まれた池田さんが遺したもの、遺したかったものは何だろうと考えます。
見た目でわからない障害で生きにくい思いをしてらっしゃる方も多いです。
だから、この映画だけで障害者のことをわかったつもりにはなりたくはない。
(そもそも、健常者と言われている人の中にも、できることできないこと、感じること感じることができないこと、人それぞれで凸凹があります。)
でも、映画が残った。
そして、それを観て考える人がいる。
この映画を語り合いたい人がいる。
愛について考えることは、だれでもできることです。
あまりに若い最期でしたが、あちらの世界で颯爽とあの笑顔でキックボードで風を切って走ってらっしゃることを祈ります。
「愛について語るときイケダが語ること」