『群像』という文芸雑誌をご存じだろうか。
その中で、歌人の木下龍也さんが連載している「群像短歌部」がある。
その「群像短歌部」に私の一首が掲載されていた。(二月号)
今回、それを毎号まとめて刊行された『すごい短歌部』に掲載されている。
短歌詠んでます
趣味として、短歌を始めてもう二年になろうとしているのだが、一年目の十一月ごろに投稿した私の一首が載っていたのだ。
というのも、他の方がSNSで「載りました!」との報告があっていたので何気なく私も投稿してみた。
もちろんその時は、本気の投稿だった。
しかし、載ってる方たちの短歌を見るとまぶしいくらいに素晴らしい(語彙力!)
当時、短歌投稿サイトの「うたの日」に出しても全くぱっとせず、半ば不良になっていた。
だから、まさか紙面に載ることはないという気持ちが根底にあり、結果を確かめるのも失念していた。
講談社からメールが来た
ところがある日、夕方の買い物の途中、メールが来たので開いてみると、講談社からだった。
そんな大手の出版社からメールがくる当てもないのだか、私の短歌を載せてもいいかというものだった。なんか、投稿したことあったっけ?
と思ったけど、出先なので確認もせず了解メールを返信した。
帰宅後、確認した。
すると、昨年の11月に「群像短歌部」に投稿した一首だった、確かに投稿してた。
しかも、メールの文面からすると掲載されたもので今回『すごい短歌部』という書籍にして刊行するらしい。
ということは…………
私の短歌が「群像短歌部」に載っていたんじゃないか。
テーマ「ガム」で投稿していたので、掲載されていたとしたら、今年の2月号だ。
見てない。
というか、『群像』という文芸誌に載るなんてまさかね。という気持ちが根底にある。たまに書店で立ち読みしても、ネットの短歌界隈ではよくお見受けする方が常連だ。
そして、その発想と詩情にうっとりする。
出したら、その結果くらい確認せよ、自分。
慌ててAmazonでバックナンバーを取り寄せた。
木下龍也さんのていねいな歌評つきだった。
ヤンキースみたいにガムを噛みしめて本当はむねが張り裂けそうだ/水の眠り
入門書は木下龍也さんだった。
『天災による凡才のための短歌教室』は短歌の知識もなく、始めたので指南書がほしいと思って購入した。天才に指導してもらえるのはいいな…くらいの気持ちだった。
しかし、序章で
僕は三度あなたを引き止めた。
それでも短歌を書こうと思うのであれば次に進んでほしい。
『天才による凡人のための短歌教室』木下龍也 著より
と、止められた。
にもかかわらず、短歌を詠んでいる。
短歌の魅力
一言では言えないが、乗り掛かった舟に乗っている。
という感じ。
- 五七五七七にことばを乗せていけば、リズムの良さが詩を生み出す
- いろんな歌人がいて楽しい
- 言葉で伝わる(伝える)快感がある
- 超絶下手なので、伸びしろしかない(と思える)
とても、楽しく短歌を詠んでます!……
な、わけない‼
創作とは、厳しーい。木下さんから止められたことが今更ながら合点がいく。
できなくて悶々とする。
ところが、
先日、義母からこんなことを言われた。
「あなた、良かったね。一生の趣味ができて」
義母は、新聞にコラムの投稿や地元の公民館で俳句をやっていた。
書くことが好きで、表現することが好きな人なんだと思う。
そんな義母は、短歌を始めた私はいつまでも詠みつづけることができる趣味を得たという面を喜ばしく思ってくれた。
私も認めてもらったようでうれしかった。
『すごい短歌部』はすごい!
『群像』は、講談社発行の月刊文芸雑誌である。
その中に、前述した木下龍也さんが毎号「群像短歌部」にお題を読者に投げられ、そのお題に沿って短歌を投稿するところだ。
毎号、このお題でそう来るかぁーというような短歌が寄せられる。
それぞれに木下さんが歌評をつけて、ご本人もそのお題で一首詠まれている。
木下さんが詠まれて一首になる過程を細かく何段階にも説明されているんだ。
私のような素人は、歌になるまでの発想、言葉選び、語順など、
「はい、できました。この歌どうでしょうか」
と言われると
「は、はい…木下さん(プロ)のお歌なのでいいに決まっています」
ってなる。
そこをどうしてこの一首になったか、この言葉を持ってきたのかと説明してくれることは、大変勉強になります。
逆に、そんなに手の内みせちゃっていいの?
って思うが、揺らぎない自信と短歌を愛する心がそんなみみっちいことは言わずにオープンにさせるのかなと思う。
『天才による凡人のための短歌教室』で打ち抜かれて短歌を始めたはいいが、迷子になりそうな方には、『すごい短歌部』が優しく寄り添ってくれます。
おすすめです。