14人に一人。日本では体外受精で生まれている。
胚培養士という仕事をご存じの方がいらっしゃるだろうか。
不妊治療に携わって、医師の指導の下、顕微授精や体外受精などの生殖補助医療を行うことを業務とする。
主人公の水沢歩は、「アースクリニック」で直接卵子と精子に触れる一番重要な専門職。
まずは、著者のおかざき真理さんが、不妊治療という、個人的でデリケートな題材を漫画で取り上げられたこと。
膨大な取材と考察、医学的な学習を積まれたことであろうことがうかがえ、敬服する。
この本が出版されたことは知っていた。
すでに購入もしていた。
しかし、本棚でしばらく眠っていたのには理由がある。
なぜなら、私が不妊治療の当事者だからである。
どのように扱われているのか。
胚をどのようにとらえられているのか。
受精とは、出産とは、
何度も私の人生の中で考えてきたことだから。
このレビューも当事者だから書いてもいいよね(笑)
赦されるよね、という気持ちで書いている。
- 不妊治療に臨むカップルにはそれぞれの事情がある
- 男性不妊症
- なぜ不妊治療を続けるか、自問自答していた
- 「最先端の不妊治療に挑みますよ」
- 不妊治療は、終わりのない治療だ。
- 出産は奇跡だ
- 夫婦、またはパートナーと、とことん話すこと
不妊治療に臨むカップルにはそれぞれの事情がある
結婚しても
結婚しなくても
子供がいてもいなくても
人それぞれの生き方なのでそれを否定するつもりは毛頭ない。
高齢出産、男性不妊、出産適正年齢での病気、女性の不妊症、不育症等
結婚したからと言って自然に妊娠することもない人生もある。
子供を持ちたいという希望から代理母という選択をするカップルもいる。
私の場合は、結婚が決まりあと二か月で式を挙げるという時に突然倒れた。
子宮内膜症でお腹の中で出血したのだ。
思えば、生理痛がひどくなっていたような気がしていた。
ただ、当時小学校の教員をしていたので、生理痛どころでは休めないし、まさか自分が病気になっているとは思いもしなかった。
痛み止めを飲んで、日々業務をこなしていた。
時々、座り込むほどのめまいや痛みがあったような気がする。
そして、腹痛に見舞われた日、同僚が「普通じゃないよ」と病院に連れて行ってくれたのだ。
自分は、下痢か便秘の痛みで少し休めばよくなると断ったのだが、普通じゃなかった。
病院に着くと痛みは増して、車いすで移動せざる負えなくなっていた。
そのあと、手術をしてお腹の中を洗われた。
それから一週間の入院。
その後も腹痛が続いたので、一学期の終業式には間に合わなかった。
後にも先にも、自分が作った通知表を自分の手で子どもたちに渡せなかったのは一度きりだった。
励ましや応援の声掛けをして渡していたので申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
夏休みに結婚式を挙げることにしていたのだが、
父が「こんな状態で娘を託すのは申し訳ない」と言う、
夫は(こういう時は頼りになる)「自分が支え二人の生活を始めます」
ということで予定通りに、とはいかないけれど体調を考慮しながら式を挙げた。
子宮内膜症の治療のため、半年間生理を止めた。
そして、次は治療のためにも妊娠を推奨された。
というのも、生理がないのが一番の治療なのだ。
ところが、普通に夫婦生活を送っていても一向に妊娠しない。
仲の良い友達からは
「うちは、旦那の求めが強くて毎回しんどいよ。その点避妊しなくて楽じゃない?w」
なんて、言われたことがあった。
別に悪気があって言ったことではないとわかっていたので、気にもならなかったが覚えているということは、引っかかっていたのだと思う。
タイミング法、人工授精と進むにつれて注射や通院の回数が増え、仕事をしながらだとかなり時間的にきついので、実家で冗談、または愚痴のつもりで
「またダメだったよ(笑)」なんていうと、
「もう、しなくていいよ。あんたの体が一番大切でしょ!」
と、母に泣かれたことがある。
母は、いつまでも母なんだと改めて思った。
私の場合は、私に原因がある不妊症なので、自分さえ明るく振舞っておけばいいと思っていた。
夫の気持ちも後に知るのだが、タイミング法、人工授精のための採精はむなしいものがあったようだった。
このことは、本書でも触れられている。
男性不妊症
男性側の原因は、ほぼ半数だという。
無精子症、乏精子症、精子無力症などがあるそうだ。
しかし、まず、受診することに抵抗感がある。
男性のプライドが許さない。
そんなはずはない!と思う。
出産でもないのに男が婦人科に行くのは恥ずかしいなど。
しかし、恥ずかしいことではなく治療をする、
とことん検査をすると水沢は言い切る。
夫婦でしっかり向き合うこと。
そして、話し合うことが一番重要なことだと私も思う。
なぜ不妊治療を続けるか、自問自答していた
どうしても妊娠しないので、夫は「子供のいる家庭を望んで結婚したのではない」
と言ってくれたのだが、不妊治療は私の意志で進めていった。
実家の両親に孫を抱かせてやりたいのではない。
子供がことさら好きなのでもない(仕事で担任をする時は、学校中で一番愛してるのは私だ!と思うくらい入れ込むのだが)。
ただ、「親」になってみたかった。
「親」になって見える世界を見たかった。
漢方のおじいちゃん先生(当時漢方薬も飲んでいた)に、
「ここでできることは限られているので、近くに不妊治療の有名な病院があるじゃないですか。行ってみたらどうですか」
と優しく勧められた。
なぜそれを知りながら行かなかったかというと
自分の「普通」じゃないことを受け入れられなかったのが主な理由だと思う。
「最先端の不妊治療に挑みますよ」
私は夫と相談をして夏休み(休みがとりやすいので)に一緒に受診した。
夫には問題はない。
私の何が原因なのか卵管の通水検査(実は何回もやっていた)、卵管の動きを見る腹腔鏡検査などを立て続けに受けた。
さすがに早い。
そして、回数を決めて人工授精をし(そこではほかの病院ではない高度な手技をしますからと)、そして体外受精に踏み切ることになった。
採卵手術をし、取り出した卵子に選りすぐりの精子を受精し培養する。
体外受精した胚を子宮に戻す。
それでも妊娠に及ばなかった。
次は、体外受精でできた胚を凍結し、私の体の調子のいい時に戻すというものだ。
子宮内膜が、十分厚くならないと着床しない。
その確率は、20%。
「ここでは、30%近くできます」といわれた。
つまり、できない確率の方がはるかに高い。
そこで、三回やってだめなら子供のいない人生を歩もうと決めて臨んだ。
ダメもとだ。
採卵を終えた女性は、ストレッチャーに乗せられ、その幅のカーテンで仕切られた部屋でしばらく休む。
カーテン越しの隣からは、空港に帰りのチケットを手配している声が聞こえる。
その人たちは、私も含めて妊娠するかどうかもわからない。
当時、麻酔をしない方が妊娠率が若干上がると言われて、麻酔なしで採卵した。
過呼吸になるんじゃないかと心配されたほど痛かった。
そして、三回目。
体の状態もギリギリセーフ。
胚の状態は特段良くもなかった。
最後のチャンスだ。
でも、これでダメなら次の生き方に踏み切れる。
安堵、解放…
という、気持ちもあった。
不妊治療は、終わりのない治療だ。
治ることはなく、やめると産まないことを自分で決めなければいけない。
医者は、医療も高齢出産も進んでいるので「もう、できません」とは言わない。
もしかしたら、次の一回でできるかもしれないから。
生殖補助医療というくらいだから、生殖の補助をする医療なのだ。
本書でも、43歳の女優が秘密で不妊治療を受けていた。
過酷な女優業、乗馬、甲冑、入水など妊活には、気を付けなければならないことがたくさんある。
私の仕事を止めないでという彼女に
水沢は
「治療と仕事、って片方しか選べないものなんですかね?」
と、本人の生き方を尊重する。
出産は奇跡だ
私は妊娠した。
たまたま、だったという人もいるかもしれない。
高度生殖補助医療のおかげだったかもしれない。
体や受精卵の状態が良い時でも妊娠にいたらない時もある。
普通に妊娠する人は、2,3か月あたりでつわりや生理が来ないことで気付くのだろう。
私たちは、その前にわかった。
まだ、命と言えないであろう卵の段階で。
決して、体の状態のいい時ではなかったのに妊娠した。
まさか!だった。
いくら医療が発達しても、この子は「生まれたい」と意志をもって生まれようとしていると確信した。
もし、この子が出産まで進み、思春期に荒れて、夜中にバイクを盗んで走って、
「なんで勝手に産んだんだよ」なんて言うならば、この話をしてやろうと思っていた。
あんたは、生まれたがって生まれてきたんだよ、と。
おかざき真理さんが、このテーマをていねいに扱ってくださっていることに感謝したい。
夫婦、またはパートナーと、とことん話すこと
ただ、私が不妊治療で出産をしたということで、何人かまわりの人は自分の娘に、息子に、親戚の夫婦にその話をしてやってほしいと依頼があった。
でも、「ご本人が聞きたいというのならいくらでも話します。でも、積極的に話すことは致しません」
と断ってきた。
当事者の覚悟と思いがいるからだ。
不妊治療にかかる費用を出してやりたいという方もいらっしゃった。
最近、不妊治療にかかる費用は一部補助されるようになった。
しかし、私たちは当時自分たちのできる範囲で治療を受けることを決めていた。
だから、金銭的支援は受けなかった。
というか、そんな申し出もなかったのだが…(笑)
もし、支援の話があったとしても断っていただろう。
それは、私たちの考えなのだけど、借りを作りたくなかったからだ。
どこをゴールにするか、どう進めていくか。
当事者がしっかり話し合うことが、その後の二人の関係性や人生に最も大切なことだと思う。