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3000文字チャレンジ【酒】お酒はトラウマだ!

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お題は【酒】

お酒について、あるのはトラウマだけなんだが。

 

仕事が終わって、ひと段落したときに乾杯!

楽しい時、うれしい時のお酒。

さみしいことがあったり、悔しいことがあったりした時にお酒を飲んで紛らわせる。

そういう場面が、これまでになかった。

というかできなかった!

一応言っておきたいのは、お酒の席が嫌いではないのでここで引かないでいただきたい。

「つまんねぇ奴だなぁ」と思わないでいただきたい。

まるで飲んでる人のように、ふるまえるので、素面でも、楽しくお酒の席に参加しますよ。

だから誘ってね。

 

飲めないわけではない(アレルギーで飲めない方もいらっしゃるけど)、弱いのよ。

弱い方は、その過程でうなずけるところがあると思うけど

まず、顔が赤くなる

そして、楽しくなる。笑いが止まらなくなったりする。

ここまでは、なかなかいい感じ。

さらに調子に乗って飲むと、歯が浮いてくる(ような気がする)

ここらで、飲むペースを落とす。

大人になって、飲み始めのころはさらにちびちび飲んだ。

歯が浮く。治る。歯が浮く。治る。また歯が浮く。治る...

ということを、長時間繰り返したこともある。

すると、人生初の二日酔い。

半日きついと聞いていたが、それ本当で、半日食べ物を受け付けず頭がガンガン痛くて参った。

その時は、友達が遠くから遊びに来てくれたので、ほとんど一晩中飲んだなあ。

それでわかったことは、急に具合が悪くならなくても長時間お酒を体に入れ続けることもしんどくなるってことだ。

 

冷酒もまずいですね。

美味しいので、くぃーといってしまった。

学生のころで、友達の家に食べ物を持ち寄ってパーティーをした。

楽しくて、みんなで飲んでは、歌い踊り狂った。

そして、寝てしまった。

すると、夜中に「誰か覆いかぶさってる」と感じ目が覚めた。

女子会だったので、誰も覆いかぶさることない。そんな色っぽいこともないはず...

案の定、誰も覆いかぶさることはなく、ただただ胃に違和感があったのだ。

「なに?」と思い、起きて鏡を見ると見たことのない真っ青な顔の私がこちらを見てる。

そして、体が震えだし、指先が冷え震えが止まらない。

恐怖でしかなかったが、周りはみんな寝てる。

ずっと後になって考えると、急性アルコール中毒になってたのかな?

こみ上げるものがあり、トイレに直行した。

友達の一人が、柿を持ってきてくれていたので、それで助かったのかと思う。

そんな経験があるので、自重するようになった。

 

しかし、就職して職場の飲み会に参加することがあり、飲まないわけにもいかず適量飲んでやり過ごした。

私は、就職しても実家住まいだったため、厳格な父が就職している娘にも門限を設けていた。

『11時までに家についておくこと』

飲み会が嫌いではなかったので、これから面白い話がきける!というところで、「すみません、すみません」と言って帰らなければならない。酷だ。

ぎりぎりで帰るので、タクシーを使っていた。

タクシーの運転手の方がみんなそうだとはいわないけれど、当時まだ若い私にいろいろ猥談を話してこられていた。

詳細は、酔っていて覚えてないけどそのようなことを一生懸命話しかけられたことがある。

その話も上の空で、車にも酔うので窓全開にして、外の空気に震えながら、もしもの時は窓から顔を出して対処しようかなと、そんなことばかり考えていたので、申し訳ないがおぼえてないのです。

それから、飲むのはきっぱりやめた。

自家用車で行って駐車場に停めて、食べるだけ食べたら、車で帰ることにした。

それでも、帰りの駐車場に行く時に街中の酔っ払いに声をかけられたり、からかわれたりするので、黙々と歩いて一直線に車に乗り込んだ。

 

最も大きなトラウマは、父なのです。

飲んで暴力をふるったとか、物を壊したとかそういうことをする人ではないのだが、昔の人なので飲むと、とことん飲んでいた。

今では、飲んでカラオケとかその後の楽しみもあるだろうが、父世代は、飲む一択だったんだろう。

前にも書いたが、父は普段厳格な人でとにかく恐ろしかった。

私が、ピアノを習っていてレッスンがすんだら帰って練習をするように言われていた。

ところが、野山を駆けまわる活発な子だったので、言われた通り練習なんかするわけがない。

レッスンバッグを玄関においたまま、遊びに出かけていたことがあり「練習したよ」とうそを言って夜寝ていた。

寝ていたにもかかわらず、私のうそがバレてたたき起こされた。

ビンタの嵐だった。

母は、「もう、やめてぇ!」と父に取りすがり、まるで星飛雄馬の漫画の一コマだった。

今では、児童虐待案件だが、結構そういうことをする父だった。

何が悪いかというと。

うそをつくことに、ことさら厳しかったんだ。

そんな恐ろしい父が、酔って帰ってきたときは、足音から違う。

「うわぁ、かなり酔ってる」

当時の間取りは、二階に私たち家族の寝室があり、一階には祖父が寝ていた。

初めのころは、深酒した時は一晩中苦しみ続けて、その苦しみようが聞こえるので恐怖の上塗りだった。

小学生だったと思うけど、一晩中眠れない。

父もそんなにお酒が強くなかったんだと思う。

ある時、近くの内科の先生が夜中に往診してくれたこともあったので。

 

少し賢くなった私は、足音でヤバい!と思ったら、枕をもって一階の祖父の部屋に逃げ込むようになった。

祖父はやさしく、おじいさんの匂いのする布団にかくまってくれた。ありがとう。

そんな翌日でも、洋服を着替えるために二階に上がるのだが、アルコールの匂いと死んだような父の顔を見るのは、これまた恐怖だった。

普段から恐ろしい父が、酔うと恐怖が増すので幼い私にとって十分トラウマを植え付けてくれたよね。

 

なんで、そこまで飲むのか全く理解できなかった。

でも、就職して結婚して子供が生まれたりするとなかなか自分の思うようにいかないことが多々ある。

努力しても乗り越えられないこと。

自分の思うように時間が取れないこと。

仕事をするうえで、信じた正義が通らないこと。

ままならないことがたくさんあったのだろう。

それでも、仕事の愚痴は何一つ聞いた覚えがない。

ギャンブルをするわけでもなく、これといって発散する術を持たなかった父。

そんなことを、乗り越えるためにお酒の手助けが必要だったのかと思う。

今ならわかる。

 

そして、人生の終盤になって癌になった。

食道がん

はじめて受診した時に病院の先生から「お酒を飲んだら、顔が赤くなりますか?」と聞かれた。

調べたら、そういう体質の人は食道がんになるリスクが高いそうだ。

本人が、手術を選ばず抗がん剤治療と放射線治療でいったんおさまっていたけれど、今年の初めに再発した。

「治療しなければ、半年。治療しても1年です」

と言われて、もう11月。

薬が効いて、元気に治療生活をしている。

 

子どものころは、恐ろしくて近づけない父だったが、家族のことを愛し守ろうとしていた。

私が「お嬢さんだからね」と世間知らずを揶揄されるのも、世の中の汚い部分、不条理な部分を子どもには見せずに、

先手先手で守ってきてくれたからであろう。

 

今度は、何としても私が守ります。

「天寿を全うできそうですね」というお医者さんの言葉に満足そうに喜んでいるので。

治療ややりたいことに、とことん付き合いますよ。

 

お酒のトラウマをありがとう。

私も、飲むと顔が赤くなるたちなので食道がんのリスクは避けれるかな。