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「孤独を飼い慣らす」ということ

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毎週聴いている深夜ラジオの相談コーナーでのこと

「特別、不幸というわけではないのですが、突然このまま年を取っていくことが無性にむなしくなる。孤独を感じるとき、どうしていますか」

という趣旨の相談があった。

そういうことって、よくわかる。

自分も家庭があり、仕事も自分なりに必死でして、それなりの満足感があり、友達は…少ない(笑)

友達が少ないというのも、就職してそれぞれ仕事について、結婚や育児などそれぞれの生活があり、学生時代のような付き合いはできなかったというだけのことだ。

結婚をしているから、子供がいるからと言って、自分とは別の人生を歩いているわけだし、そこに踏み込もうと思うことはない。

たまに、猛烈に孤独を感じることもあるが、それもそういうものだと理解している。

 

群れるということ

 

学生時代は、女子の派閥争いや表面で仲が良いように見えて、裏では悪口を言っている。なんていうことは、よくあったが私にとってそれは煩わしいことだった。

もちろん、ターゲットになることもあった。

中学生の時、休み時間トイレに入っていると

個室の外で私の悪口を言っているのが聞こえてきた。

出づらい。

休み時間なので、次の授業が始まる。

悪口は、続いている。

だが出た。

一瞬、その場は凍り付いたが手を洗い出ていった。

その後、何事もなかったかのように付かず離れずの関係だった。

それより前、

小学校の時は、高学年の時群れて個人の悪口を言う友達がいた。

その時、話は聞くが「うん、そうだね」とは決して言わないことにしていた。

なぜなら、そういう子は味方につけたかの如く勢いつくからだ。

どこで学んだのか知らないが、そうやって過ごしていた。

そのツケは、修学旅行で朝のラジオ体操(今考えるとなぜラジオ体操?だが)の時、

誰も一緒に行動する人がいなくて、一人で正に孤独に体操をしたっけな。



仕事についてもそうだ。

私は、小学校教員でわりと個人事業主のような自由はあった。

学習指導要領という大枠があり、

その趣旨に沿って、学級経営をして授業をする。

自分の好きなように工夫をしスキルを上げていくのはとても面白かった。

ただ、その責任はほぼ自分で背負わなければいけないが…

その中で、校長側につくこともないので、組合に加入の誘いがあったが断った。

仕事をする上で、労働組合は大事だと思う。

これは、わがままなのかもしれないが、組合活動のやっていることに全面賛成ではなかったから。

もう、文科省の末端でまじめに働き、社会の一員として生きているのでそれ以上枠にはめないでほしいというのが本音だった。

組織に所属すると、それなりにかばってくれる人たちがいるのも見ていたが、それは自分で何とかするよ。

と思っていた。

 

孤独を感じてどうしようもない時

 

そんな時は、本を読んだ。

音楽を聴いた。

映画を観た。

好きなことで、ちょっとの間、現実逃避した。

というか、今でもしている。

全く一人ではないので、これが私の「孤独の飼い慣らし方」かもしれない。

 

娘の悩み



彼女は、私と違って誰かとつながってないと不安を感じる性格だ。

だから、新年度や進学で自分の位置がはっきりしないことに不安を感じ悩むのである。

私のやり方を話しても、同じ人間ではないので「いいよね、ママは」と返されるのがおちだ。

悩み相談の相手にはなれそうもない。

自分の生き方を模索してたくさん悩んで、学んでほしいと願うばかりだ。

 

類は友を呼ぶ

 

彼女は、決して派手な方ではなく、友達からは「優しいね」と言われることが多いらしい。

ところが、舐められることもあるという。

馬鹿にしてはいけない。

人は舐められは、分かるのだ。

幸い、その都度(高校、大学と)「○○は何だか強めに接しているね」

と、気付いてくれる友達がいるらしい。

そうなんだ。

そういう子と仲良くすればいいんだよ。

きっと、娘の良さを分かってくれる大切な友達になる。

大人になって、本当に腹を割って話せる友達は一人いればなんとかなる。

 

ラジオでは、相談されたナビゲーターの方が、

「自分には小学校からの友達がいます。いろんなことを話すんだけど、その人は、悩みを話しても答えが返ってこないんです。まだ悩んでるの?と言われたり…まるで嘆きの壁のような存在なのです」と。

 

孤立することは、悲しいけれど

孤独は、飼い慣らすことでどうにかその日が過ぎていくような気がする。

 

この本は、なぜか二冊も持っていた。

どんだけ乗り越えたいんか!

と、自分に突っ込みを入れたい(笑)