夫が風呂に入っていない。
と、冒頭から始まる。
東京で暮らす一組の夫婦の話。
冬の寒いころから始まって、汗ばむ季節になっても夫は風呂に入らない。
東京での二人の暮らし
妻の衣津美は35歳、一つ年下の夫の研志との二人暮らし。
衣津美は、大学進学と共に上京したが、研志は生まれも育ちも東京二十三区内だ。
共働きの衣津美に研志は
「二人ともフルタイムで働いているのに、毎日晩ご飯作るのって、しんどいなとと思って。おれにはできないし、おれにできないのに衣津美にしてもらうのも違うと思うし、お金出せばそこらじゅうに売ってるから、お金に困らない限りは、買えばいいのかなと思ってる」
という夫の言葉に愛情が含まれていると感じる衣津美。
結婚して10年。
朝は、菓子パン。昼は、職場で。夜は、弁当かスーパーの総菜などを各々が入手して、それぞれの帰宅時間に食べている。
衣津美の生まれ育った田舎での生活とはまるで違うが、これが先進的な暮らしなのかと思う。
義母は、「おままごとみたいで楽しそう」と揶揄するように時々いう。
共働きで都内のマンションに住んでいて、裕福とは言えないまでもお金に困っていない東京ではいくらでもいるタイプの夫婦。
衣津美は、結婚をすれば子どもを産むものだと思っていた。
特別な理由がない限り、「進学した方がいい」「就職した方がいい」「結婚した方がいい」の連続だったが、子どもはそうはいかなかった。
自分でもどうしようもないことがあるのだと思い、病院にも行ったが35歳を機にやめた。
どこにでもいる夫婦。
流れに任せて生きてきた二人。
ことさら、波風が立つようなことは書かれていなかった。
穏やかに二人の生活様式で生きていることを否定もされず、強く肯定もされず東京という都市に生きているように感じた。
風呂に入らなくなった夫
「ちょっとした悪ふざけされて」と
少し遅めの新年会で年代の離れた後輩に水をかけられて帰ってきた研志。
何事もなかったかのように衣津美に見つからなければ、その場は過ごしたのだろう。
なぜ、上司に水をかけるのかわからない。水をふざけてかけちゃいけない。
訳が分からない衣津美に明確な説明をしようとしない研志。
そして、一月ほどたって風呂に入らなくなった夫の異変に気付く。
入れないのではなく「入らないことにした」とのことだ。
なぜ?
衣津美は戸惑う。
あの夜に起こったことは、生きていれば辛いことや嫌なこともあるけど何とかバランスを取りながら生きている、人生の一コマだと思っていた。
水道水がカルキ臭くて、皮膚にあたると痛い。という研志。
ミネラルウォーターで体を流させようとするが、せっけんで洗うこともないので髪の毛や体がどんどん臭ってくる。
研志自身も気付いているのだが、風呂に入らない。
見た目も当然変わってくる。
髪の毛が皮脂でくっつき、顔色もどこかしら黒っぽくなる。
研志は、営業職なのでこれ以上改善が見られないと辞めてもらわなくてはいけなくなる。と、義母に連絡がいく。
風呂に入れないが、
唯一、雨の日に外に出て水を浴びてくることしかできなくなった研志。
そして、衣津美の故郷へ
衣津美の故郷は、川が近くに流れているところでそこに行きたいという。
初めは、二人で衣津美の実家に帰省して。
それからは、研志一人で行くようになる。
ついに夫婦で東京を離れ、衣津美の故郷の祖母の家に移住する。
研志の心は、何がどう変わったのだろうか。
それは誰にもわからない。
今まで社会生活を送っていた、心優しい穏やかな一人の人間が一つの出来事を境に壊れていってしまう。
いや、わかっている。
一つのことはきっかけに過ぎず、危ういパーツを合わせてどうにか一枚の絵を完成させているように見せているが、それは脆くはかないものなのだ。
研志は、水道水がだめになり風呂に入ることができなくなり、雨水や川の水で体を洗おうとする。
魚が川の水で得られる安心感を求めるように。
日常と狂気のはざま
研志は、狂ってしまったのだろうか。
レビューには、「狂気」という言葉があふれている。
風呂に入れなくなったけど、食べること、寝ること、外出することはできる。
確かに風呂に入れないということは、自分だけでなく他人にもわかってしまい、体臭は強烈になり、見た目も変わってしまう。
迷惑や嫌悪感を抱かせてしまい、社会生活が困難になる。
それ以外は、変わったように見えないのだ。
「病気」という言葉が頭に浮かぶ衣津美だが、それを打ち消すように妻である衣津美は受け入れている。
これを狂気というのか。
衣津美の言葉で
「夫には健やかに幸福でいてほしいと思っている。ほんとうに、二人でいつまでも仲良く、平和に生きていきたい」
それは、心から相手を尊重し愛しているものの言葉ではないか。
とても濃密で情熱的な愛ではないにしても。
だから、夫の変容も衣津美なりに受容し得たのではないか。
研志の行動が際立つが、実は衣津美も研志に依存して生きているようだった。
もしも、自分の家族がそうなった時私はどうするのか。
きっと、気が狂いそうに慌てるだろう。
この本は、東京という大都市に住んでいる方におすすめしたい。
なぜなら、地方ではもっと人の間に紛れることがむつかしいからだ。
東京の人は、忘れることが上手だというようなことを言っていた衣津美。
地方とは比べ物にならないくらい人が多くて、人の生きざまも多様なのだろう。
そして、隣近所との関係も薄い。
以前、半ワクチン、コロナはただの風邪の人たちが、渋谷でデモをやっていたのをSNSで見た。
顔が写り、ベビーカーを押している若い母親の姿もあった。
これは、東京だからできること。
地方在住の者がやったら、近所や親戚から総攻撃を受けるだろう。
紛れることが困難なんだ。
私が、東京で生活していたらそういうことを楽と感じるか、埋没していくことを怖いと感じるか。
高瀬準子さんは本書で芥川賞候補になり、「おいしいごはんが食べられますように」で
第167回芥川賞を受賞した。