好きなことが、音楽、読書なんだけど、それが体系的であったり、アカデミックな知識があるわけではない。
自分の心のどこかに刺さり、なでるから好きにつながっている。
子供が産まれる少し前から、お花を習っていた時期がある。
華道と言えば堅苦しいが、カルチャーセンターに行っていただけ。
当時の先生が、おじいちゃん先生で、白髪の気さくでいつも微笑んでいる方で初心者の私が活けた作品(笑)をどこかほめてくれた。
ただほめるだけでなく、どこかを直して「こうするのはどうかな?するともっと映えるよ」と言ってくれる。
その原型は残しつつ、まるで違う生き生きしたものに変身するのだ。
先生天才か!っていうことが毎回起こる。
そして、日本家屋の床の間の意味、日差しがこう入るから床の間はこうしつらえてある。など成り立ちは知らないけど共存してきたことをサラッと教えてくれると
「あー、なるほどね!」という、まさに茂木健一郎のアハ!体験だ。
気持ちがいい。
その教室には20人弱の生徒がいた。
その中に学生なのか、明らかに10代の生徒が一人いた。
髪の長い女の子でいつも一番後ろの席を確保して、雑談にも入ってこない。
初めに先生の話があるんだけど、つまらなそうにうつむいて落書きなんかしている。
それでも、毎回欠かさず出席する。
仮にAちゃんとしておこう。
先生の話が終わり、いざ活けるという時も一人で黙々と活ける、おまけに早い。
大体、できたところで先生が回って見てくれる。
終わった人は、手直しされている人のところに集まって一緒に聞いていた。
それぞれに同じ素材でも活け方が違うので感心したものだ。
で、Aちゃんのところ。
(あれ、足元そろえるっていわれてたよね…)
と内心思っていた。
先生は
「ほうほう、Aちゃん自由に活けたね。ここをこうするとどうかな?」
最小限のお直しでAちゃんのお花は一つの作品に仕上がる。
(先生、天才か!)
Aちゃんは薄い反応で薄く笑っていた。ような気がした。
助手として一緒に来ていた女の先生がいたんだけど、おじいちゃん先生がお休みの時みてくれるようなった。
助手の先生のお直しは、容赦ない。
活けた花をほぼ全部抜き、「こうするといいよ」と教えてくれる。
確かに自分が活けたものは、お話にならないものなんだろうけど、どこがどういけなかったか、もはやわからなくなってしまう。
Aちゃん以外の人は、ほぼ基本は押さえつつそれなりに活けていたはずなのに、「全抜き」されるとそれは助手の先生の作品になるんじゃないのかな…などモヤモヤしてた。
まあ、趣味でやってたのでそれでもこういうもんかと思っていた。
しばらくして、免許を取らないかという話が出て同じくらいのキャリアのある人はとることになった。
おじいちゃん先生からの話なので、ずっと見てくれてるせいかテストなどはなくただ免許取得に必要な代金を支払って、師範の免許をもらった。
内心(いいのかな?こんなので)とは思いつつ。
「免許をもらったので、新年会に来てみないか」
と誘われた。
華道の新年会とは!
考えが甘かった。
おじいちゃん先生、その界隈でえらーい先生だった。
周りの人たちは、着物で参加してたし「先生、先生」と取り巻く取り巻く!
取り巻きの方たちの中にも、序列があるようで私たちカルチャーセンター組は、隅っこで大人しくして、居心地の悪かったことだけは、はっきり覚えている。
日本舞踊、歌舞伎などの世界ではそういう独特なものがあることは知っていたが、そうか華道も伝統芸術なんだと今更ながらに考えいった。
そして、この世界で生きていくの無理とも思った。
えらーい先生である私たちの先生は、カルチャーセンターではそんなことおくびにも出さずへっぽこ生徒に寄り添ってくれていたんだね。ありがとう。
その後、私が所属していた流派は、お家騒動があり分裂したそうだ。
くわばらくわばら。
そして、最近ちょっとしたきっかけから俳句に出会いTwitter上の「さみしい夜の句会」というところに投句している。
俳句、川柳、短歌、自由律俳句、詩歌なんでもいい。
ハッシュタグをつけて詠めば、主催者側から「いいね」がもらえる。
そして、仲良くしてくれてる方も参加して返句してくれたりするのが楽しい。
今まで、俳句といえば公民館というイメージだったが、五七五の文字数に合わせて季語を織り交ぜ詠む。
または、川柳は季語無し。
短歌は。五七五七七だ。
このくらいの知識しかない。
この前、お題に「養命酒」とあったので
”薬なのかそれにしても酔う養命酒”
と詠んだ。
リプ欄には、「下戸のみんみんさんらしいね(笑)」とあり、
また、普段は俳句などには全く関心のない(であろう)ラップ好きの方が
”養命酒 用法誤り 絶命酒”
と詠んでいた。
何だか「Yoー!」と聞こえてきそうで笑ってしまった。
文芸である。
しかし、難しいことをうんぬんいうより敷居を低く低くして広まることを主催者である月波与生さんは願っていることだと勝手に解釈している。
彼が主催しているさみしい夜の句会とはそういう場所である。
web上で開かれた優しい場所なのだ。
合同句集が出ている。
いろんな方の俳句、短歌、川柳、詩歌など
私なんかでは思いつかない発想と自在に言葉を操る作品。
美しい日本語。
表紙は、大好きなイラストレーターの久保田寛子さん。
素敵です。
好きなことの正体は、今のところ私が触れて心地よいもの。
いい悪いなんかわからないもん。