我孫子武丸氏の作品を読んだ方はいらっしゃるだろうか。
私は初めて出会った著者で読了後、呆然としてしまった。
これほどの呆然は、しばらく味わったことがなかった。
ミステリーなのか探偵小説なのか。
そんなことより、ひきずりこまれるように先が知りたい作品だった。
キルケゴールの引用から始まる
キルケゴールはデンマークの哲学者でのちにカフカ、ハイデッガー、カミュなどに影響を与えている実存主義の哲学者だ。
あらゆるもののうち最もおそるべきこの病と悲惨をさらにおそるべきものたらしめる表現は、それが隠されているということである。
それにかかっている当人自身でさえ知らないようなふうに人間のうちに隠れていることができる、ということなのである。〈本文より引用〉読み始めた。
当人が知らないように隠れているものとは。
自分のことは、分かったようで知らないことはないだろうか。
それが恐ろしいものでも、そうでないものでも。
作品の構成
第一章から第十章まで
第一章の中に
1 二月・雅子
2 前年・稔
3 一月・樋口
4 前年・稔
5 二月・雅子
というように時が交差しながら、登場人物の視点で物語が語られていく。
読者は、頭の中で整理しながら読むことになる。
登場人物
雅子・・・蒲生家の主婦
稔・・・蒲生稔 凌辱殺人を繰り返す
樋口・・・退職寸前までハードな捜査を繰り返していた元刑事。64歳という年を感じつつさらに、前年夏、妻を乳癌で亡くしている。子供はいない。孤独と闘っている。
雅子
蒲生雅子は、二十歳の時に結婚し、次の年に男の子、その次の年に女の子を出産した。
生活は、夫の給料で贅沢はしない限り彼女が働きに出る必要もない。
夫の両親の家があり地味ではあるが平穏な暮らしに満足していた。
平凡な家庭の主婦である。
本書は、1992年9月に単行本として出版されているので、当時では平凡な中流家庭でと裏書にあるが、現在では都心に近いまたは都心に一人働きで持ち家ありとは、中流家庭と言えるのだろうか。
ただ、子供は夫のでもなく、私達のでもなく「わたしが」産み育てたと思っている。
しかし、あることをきっかけに自分の息子が犯罪者ではないのだろうかと疑い始める。
雅子にとっては、恐ろしく信じがたいことなのだけど、その疑念は日に日に増してくる。
同じ母親として、我が子が今話題の猟奇殺人者ではないかと思うと、居ても立っても居られない焦りと当惑、反面、そうではないという理由を必死で探そうとするのだろうと雅子の気持ちに重なる。
稔
最初の殺人は、雅子が疑念を抱く三か月も前なのだ。
自分は、他の人間と違っているともう何年も前から気付いていた。
何が違うのかわからないが、それは母親には決して知られてはいけないこと。
母さんはきっと、気が狂ってしまうだろうと思っていた。
しかし、自分が何をするべきか。
最初の殺人を犯してからわかってしまう。
それは、稔にとっての真実の愛を求めることなのだ。
殺人と愛、この相反するように見えることが、稔にとってはイコールなのだ。
樋口
樋口は、妻を乳癌で亡くしずっと毎日がその日の繰り返しのように思えるむなしい日々を送っている。
その日は、風邪気味で病院に来ていた。
待合室のテレビから正月のまだ松の内に起こった猟奇殺人事件がワイドショーをにぎやかせていた。
被害者は、17歳の家出少女。
歌舞伎町のラブホテルで絞殺、もしくは扼殺され、死後、乳房を両方とも鋭利な刃物で切り取られているという。
乳房
樋口は乳癌の手術で左の乳房を失った妻のことが頭をよぎる。
その痛々しい姿を思い出し、妻は美しい体のまま死なせてやった方がよかったのではないかと、思いをはせる。
そして、ある日、かつて部下でもあった刑事が樋口の家を訪ねてくる。
「島木敏子という女性をご存じですか」
彼女は、妻が入院していた時に働いていた看護師だ。
まさか。
刑事が訪ねてきて、看護師のことを聞く。
元刑事の樋口には、その意味が分かった。
もう、島木敏子はこの世にいないのだ。
そして、猟奇殺人者によって殺されたことを聞かされる。
島木敏子は、妻がなくなってからも何度も一人になった樋口を心配して訪ねてくれていた。
妻に先立たれた男の、一年以内の死亡率が異様に高いこと。
病死だけでなく、自殺が特に多いことを気遣ってきてくれてたという。
その島木敏子が・・・
その事件を発端に、樋口が連続殺人事件に深く関わり、真相を暴こうとすることになる。
家庭内の病理
日本では、核家族化の進行に伴って、家庭内の問題が潜在化されそれが犯罪へあらわれることがある。
家庭内暴力、性犯罪。無差別殺人など。
父親の影が希薄で、それとともに過度の母子密着がすすむ。
それらは、影を潜め、閉鎖的な家庭内での問題なので表に現れない。
(もちろん、全ての犯罪が家庭に起因していることはない。
同じような家庭環境、家庭内の問題を抱えていても犯罪を犯す人と、犯さない人がいる。
その差は何なのか。とても関心を寄せることである)
それらの問題で、個人が十分育たない、育てないことが個人のコンプレックスや気がつかない未成熟に至るのだろうか。
連続殺人鬼の蒲生稔は、真実の愛を求めていたのだ。
彼の言う真実の愛を。
最後に
最後まで読者もともに蒲生稔と様々な経験をすることになる。
かなり、性的描写、残虐的表現があり、読む人を選ぶかもしれない。
ただ、「なぜ?」のため、それが知りたいという方にはお勧めです。
蒲生稔の心の穴、いや同じ人間の心の穴はどこから来てるのか。
そして最後に、あっと驚き、「ちょ、待てよ(キムタク風)」と
もう一度最初から読みたくなるので、順番に読むことは約束です。