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燃え殻『湯布院奇行』 朗読劇DVD+原作小説 幽玄の世界へ

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燃え殻さんの原作を佐藤佐吉さんが脚本を書き、土井裕泰さんが演出された朗読劇です。

昨年の9月28日から30日まで東京の「新国立劇場」で上演されました。

 

待ちわびていたので届いてさっそく開封。

原作小説とDVD

さあ、どちらから手を付けようか。

迷わず、原作から読みました。

DVDプレイヤーを立ち上げるのがもどかしく。

というのも、燃え殻さんの書くものに触れたのは『すべて忘れてしまいから』というエッセイがはじめです。

この本の中には、言葉にできなかった気持ちがある。

と、感じたからでしょうか。

www.minminroom.com

 

『湯布院奇行』書下ろし小説



「いま、君の目の前にいる女を私たちで共有しないか?」

 

冒頭の一文です。

私たちで共有

この一文は、いろんな受け取り方ができわからなくなるのです。

とても不思議な言葉に「僕」も読者も困惑する。

 

都会の生活に疲れ果てた作家の「僕」は、次から次に押し寄せる仕事や不条理なこともいつの間にか慣れてしまって、習慣化することができる。

することで、何とか生きている。

それを鈍感さとか柔軟さだと、だましだまし生きていくにも限界があり、4年に一度大決壊する。

当たり前です。

コンピューターでさえ4年に一度どころか、しょっちゅうバグを起こすのだから。

 

バグ。

「僕」のバグは、すさまじい。

心療内科の薬と酒によってごまかしても、ごまかしきれなくなった時

以前、トークイベントで知り合った世界的現代アーティスト「沖島淳一」にメールを送っていた。

「死にたいときってどうすればいいんですか」

 

「それならば、大分の湯布院にいってみるといい」と返信が来た。

「沖島」に導かれるようにして、湯布院へ。

指定された場所、指定された「忍」という女を訪ねていくと

女から手渡された「沖島」の手紙に

 

「いま、君の目の前にいる女を私たちで共有しないか?」と書いてあったのです。

 

湯布院という温泉地

 

日本には、各地それぞれに有名な温泉観光地があります。

熱海温泉、草津温泉、白浜温泉、鬼怒川温泉、箱根温泉など

湯布院とは、大分県の別府温泉の近くで東京からは十分遠い。

「湯布院」という場の設定が、まず魅了されます。

「院」

という文字にどのような印象を持たれますか。

寺院、僧院、書院造り、正倉院、などが頭に浮かびます。

院、上皇の居所の称。転じて上皇をさす呼称となった。家屋を巡らした垣の意味から一区画をなす建物を意味し

コトバンクより引用

そのような奥まった、閉ざされた空間が想像されました。

本書の舞台には、うってつけです。

 

登場する女たち

 

ここで「忍」「片桐」という女が、「僕」を迎えます。

「僕」の話をていねいで間違わない敬語で聞きます。

すると、「僕」は語り始める。

東京でのことや母親のこと。

今まで聞き役に徹していた「僕」が様々なことを話す。

湯布院の女たちは、「いいんじゃないんですか」と聞く。

 

 

読み進めるうちに、ページの隅にある落書きのようなものに気付きました。

この落書きのようなものも、後に謎が解けますが。

「忍」と「片桐」も「僕」にとって、どちらがどちらで誰に話していたのかもわからなくなる。

そして、白濁した湯舟へ

 

時間と空間

 

白濁した湯につかり、むせかえる湯気の中でほとほと疲れた体と脳を浸してみる。

毛穴という毛穴から、ドロドロと黒ずんだ悪性の血液が噴き出てくるような感覚を味わう。この湯船に溶けてしまいたい。潮時を迎えるには、これ以上ない場所なような気がした。

 

本文引用

そして、艶めかしい女の描写

肉体と外界が溶け合ってしまうような恍惚感

まるで、愛し合ったもの同士が溶け合い一つになりたがっているような

 

ここでは、「僕」が理解できないような時間軸と場所が頭の中で混じり合い、混乱するのですが、この混濁を求めていたのではないかと思わせるのです。

スマホのエゴサや締め切り、不条理な現実に押しつぶされて生きてきた「僕」

「百日滞在してしまったら、君はきれいさっぱりこの世界から溶けてなくなってしまいます」

という、「沖島」の言葉を思い出す。

 

「沖島」の壁画

 

風呂には、「沖島」が描いたという壁画があります。

そこに描かれている絵は、沖島がモチーフとして描く少女とこの土地に伝わる伝説の鬼の絵。

これは何を意味するのか?

「僕」の想像と読者の想像が一致するのは、その後のこと。

 

書下ろし小説

 

今までの燃え殻さんの作品とは、かなり違っていました。

これまでは、現実の現在の十分想像できる生活感の中での話でしたが、本書は、時間と空間を超えて、「僕」と共に幻想の世界に連れて行ってくれました。

装丁や表紙、裏表紙裏の写真も美しく、その世界観をつくっています。

 

ただ、これが幻想なのか現実なのか、それも惑わせる作品です。

 

朗読劇『湯布院奇行』



出演

成田 凌

黒木 華

コムアイ

 

朗読劇を観たのは、初めてでした。

本書が出版される前、すでに上演されていたので、ご覧になった方にはよくわかると思います。

 

キャストは知っていたので、小説を読むとき「僕」やト書きは燃え殻さんの声で脳内再生し、女たちの台詞はほぼ黒木華さんでした。

 

朗読劇ってこんなものなのか?演劇に近いような感じです。

成田 凌さんのたたみかける様な読みには、緩急、うろたえ、絶望、疲労、受容などの感情が力をもって迫ってきます。

黒木 華さんは、一定の感情の起伏を抑え淡々と。

表情のアップでは、(劇場では観られなかったかもしれませんが)観音菩薩のように優しく美しいうっすらと笑ったような表情が映し出されます。

かと思うと、張りのある声で高らかに笑い、冷徹で見下ろしたようなような笑い声が散々これでもかと降ってくるのです。

 

そこに、コムアイさんのそこだけ現実的な女の、やけに大げさな笑い声。

そして、無垢な歌声。

三人三様に舞台をつくっています。

新国立劇場の中劇場で、公演されたそうですが1~2階の二層になった劇場でかなり大きな劇場だったのでしょうね。

「誰も置いていかないようにしました」と演出の土井さんはおっしゃる。

誰も置いていかないようにとは、誰もの感情を回収して連れていくということだと解釈しました。

 

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結末

 

小説と朗読劇では、結末に少しの違いがあります。

それも、小説が出る前に佐藤佐吉さんが脚本を書き、土井裕泰さんが演出をされていたことで、従来、原作ありきで舞台や映画になるというものとは反対の手法だからでしょう。

でも、原作出版前に、ほかの方がどう解釈しどう料理するかというのも新しくて面白いと思いました。

 

また、朗読劇では、幻想的な演出は、小説で描いていたものを形にしてくれました。

日高理樹さんの演奏もアドリブ多めとは思えないほど、きれいに劇を盛り上げ演者との息もぴったりでした。

 

「死にたいという感情は、遠くへいきたいということです」

 

旅に出なさい。いつもより遠くまで…

これは「沖島」の言葉です。

死にたいと明白な意識がなくても、消えたいと思うことはありませんか?

きれいさっぱり、誰の記憶にも残らないようにと。

 

たとえそんなこと思ったことがない方も、小さな旅にでも出るのはいいかもしれませんね。