みんみんルーム

趣味とくらしのブログ

MENU

群像短歌部 - 『すごい短歌部』への掲載経験

『群像』という文芸雑誌をご存じだろうか。

その中で、歌人の木下龍也さんが連載している「群像短歌部」がある。

その「群像短歌部」に私の一首が掲載されていた。(二月号)

今回、それを毎号まとめて刊行された『すごい短歌部』に掲載されている。

 

短歌詠んでます

 

趣味として、短歌を始めてもう二年になろうとしているのだが、一年目の十一月ごろに投稿した私の一首が載っていたのだ。

 

というのも、他の方がSNSで「載りました!」との報告があっていたので何気なく私も投稿してみた。

もちろんその時は、本気の投稿だった。

しかし、載ってる方たちの短歌を見るとまぶしいくらいに素晴らしい(語彙力!)

当時、短歌投稿サイトの「うたの日」に出しても全くぱっとせず、半ば不良になっていた。

だから、まさか紙面に載ることはないという気持ちが根底にあり、結果を確かめるのも失念していた。

 

講談社からメールが来た

 

ところがある日、夕方の買い物の途中、メールが来たので開いてみると、講談社からだった。
そんな大手の出版社からメールがくる当てもないのだか、私の短歌を載せてもいいかというものだった。なんか、投稿したことあったっけ?
と思ったけど、出先なので確認もせず了解メールを返信した。

帰宅後、確認した。
すると、昨年の11月に「群像短歌部」に投稿した一首だった、確かに投稿してた。
しかも、メールの文面からすると掲載されたもので今回『すごい短歌部』という書籍にして刊行するらしい。
ということは…………
私の短歌が「群像短歌部」に載っていたんじゃないか。
テーマ「ガム」で投稿していたので、掲載されていたとしたら、今年の2月号だ。
見てない。

というか、『群像』という文芸誌に載るなんてまさかね。という気持ちが根底にある。たまに書店で立ち読みしても、ネットの短歌界隈ではよくお見受けする方が常連だ。

そして、その発想と詩情にうっとりする。
出したら、その結果くらい確認せよ、自分。
慌ててAmazonでバックナンバーを取り寄せた。
木下龍也さんのていねいな歌評つきだった。

 

ヤンキースみたいにガムを噛みしめて本当はむねが張り裂けそうだ/水の眠り

 

入門書は木下龍也さんだった。

『天災による凡才のための短歌教室』は短歌の知識もなく、始めたので指南書がほしいと思って購入した。天才に指導してもらえるのはいいな…くらいの気持ちだった。

しかし、序章で

僕は三度あなたを引き止めた。

それでも短歌を書こうと思うのであれば次に進んでほしい。

          『天才による凡人のための短歌教室』木下龍也 著より

と、止められた。

にもかかわらず、短歌を詠んでいる。

 

短歌の魅力

 

一言では言えないが、乗り掛かった舟に乗っている。

という感じ。

  • 五七五七七にことばを乗せていけば、リズムの良さが詩を生み出す
  • いろんな歌人がいて楽しい
  • 言葉で伝わる(伝える)快感がある
  • 超絶下手なので、伸びしろしかない(と思える)

とても、楽しく短歌を詠んでます!……

 

な、わけない‼

創作とは、厳しーい。木下さんから止められたことが今更ながら合点がいく。

できなくて悶々とする。

 

ところが、

先日、義母からこんなことを言われた。

「あなた、良かったね。一生の趣味ができて」

義母は、新聞にコラムの投稿や地元の公民館で俳句をやっていた。

書くことが好きで、表現することが好きな人なんだと思う。

 

そんな義母は、短歌を始めた私はいつまでも詠みつづけることができる趣味を得たという面を喜ばしく思ってくれた。

私も認めてもらったようでうれしかった。

 

『すごい短歌部』はすごい!

 

『群像』は、講談社発行の月刊文芸雑誌である。

その中に、前述した木下龍也さんが毎号「群像短歌部」にお題を読者に投げられ、そのお題に沿って短歌を投稿するところだ。

毎号、このお題でそう来るかぁーというような短歌が寄せられる。

それぞれに木下さんが歌評をつけて、ご本人もそのお題で一首詠まれている。

 

木下さんが詠まれて一首になる過程を細かく何段階にも説明されているんだ。

私のような素人は、歌になるまでの発想、言葉選び、語順など、

「はい、できました。この歌どうでしょうか」

と言われると

「は、はい…木下さん(プロ)のお歌なのでいいに決まっています」

ってなる。

そこをどうしてこの一首になったか、この言葉を持ってきたのかと説明してくれることは、大変勉強になります。

 

逆に、そんなに手の内みせちゃっていいの?

って思うが、揺らぎない自信と短歌を愛する心がそんなみみっちいことは言わずにオープンにさせるのかなと思う。

 

『天才による凡人のための短歌教室』で打ち抜かれて短歌を始めたはいいが、迷子になりそうな方には、『すごい短歌部』が優しく寄り添ってくれます。

おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【実験】短歌とAIの共創 ポンコツ短歌はAIと共にブラッシュアップできるのか

昨年より、短歌の学習をしている。

 

ざっくりいうと

たった三十一文字の中でイメージの世界を膨らませ作者とともにその世界を共有したり、作者が思い描いてなかったことを自分の生活に落とし込み、自分のこととして深く味あうことができる文学に魅了されたからだ。

 

読者として読んでいくのも楽しいが、自分の読解力では理解できない短歌もある。

短歌のよさをもっと知りたい

そこで、自分でも実際つくってみようというのが始まりだったように思う。

皆さんの目にする短歌は、「あー、わかるわかる!これなら自分でも作れそう」

というものではないか。

しかし、「わかる」とは読者に「通じる」ということなのだ。

この、「通じる」ということが難しい。

自分の観念の中だけでつくると

「は?」「だから?」

になるのだ(ほとほと経験済み)

つまり、独りよがりの短歌は通じない。

 

同じ母国語を持つ者同士、この思いが届かない。

自分の国語力やセンスのなさに絶望すら覚える。

悲しい。

人と比べるのはいけないと重々承知だが、若くて、センスと学力高めのバケモノのような人がネットには、うじゃうじゃいて萎える。

センスだけで片付けるのは失礼なので、そのバケモノのような方の努力は知っているつもりです。

それはそれは、淡々と何千という短歌をつくり、そのほんの一部を公開されているようなので。

はい、私の努力不足も認めます。

「次世代短歌会」というところ

深水英一郎さん主催の「次世代短歌会」という場をお借りして、お題に沿って短歌をつくったり公開したりして勉強をしている。

 

先日、公開した「映画短歌空間」もその中の一つだ。

www.minminroom.com

 

体験しよう「AI共創短歌」

「次世代短歌会」の中のひとつの試みとして、AIとの共創という実験がおこなわれている。

以下、短歌マガジンより

mag.kotobadia.com

実際、私がやったこと

ステップ1 「短歌の種」をAIに渡す

短歌投稿サイト「うたの日」でどんまい!をとった歌を渡してみた。

「うたの日」は、選歌する時一人一票の❤がおくれる。

そのほかで好きと思った歌に♪は何首でもおくれるというシステムだ。

そこで、❤も♪も一つもつかない歌に、サイト主の方がはげましの「どんまい!」を書いてくれる。

 

すなわち、その部屋で誰からも見向きもされなかった、伝わらなかった歌ということだ。

自慢じゃないが、この一年で数えるのも精神的にきついので数えないが、山のようにあることは間違いない(慣れてきた自分が憎い!)

お題は『財』

短歌は

財産をのこさぬように使いたい でもいつまでも元気そうだが/水の眠り

ね、意味不明でしょう。同調を求む。

たしかに、どんまいのはずだわ。

 

でも、これでAIがどんな風に読み取り短歌のようなものをつくるか知りたい。

AIよ、いざ、ポンコツと勝負だ。いや、共創だ。 

 

ステップ2 AIが「短歌のようなもの」を出力」

AIが出力してきたものがこちら

 

① この世に金だけでは生きる価値無くても 愛が欲しいから死ぬ気で生きろ

② 人の幸せに嫉妬するくらいなら その分を俺によこせと叫んでみたよ

③ 貧しき人の涙も知らず 富める者は悠々自適 欲深いこの世は金持ちのために在るのか

④人生最後の日 手にしたるは形無き富 お金は残さず死んだが悔いはなし

⑤ 欲望に目がくらんでお金の力借りて 得たものは砂の山だったんだね

⑥ 欲しいものがすべて揃ったら 人はそれで幸せなのか

⑦愛情よりお金を大切に生きてきましたが 最後はお金が裏切りました

⑧手にした財 使いきれない分は分け与えよう 誰かのためになる方が良いだろうから

⑨ 金がないことのほうが気楽な世の中に生まれたら 今頃僕はもっと自由に過ごせるだろうに

⑩お金を稼いで使いまくった人生の末路は 残されたのは後悔ばかりという事

 

短歌の種としてなげたものが、『財』だったのでお金というダイレクトな生活感が出てきて詩情とは縁遠い言葉の数々。

そこまで銭ゲバのつもりはないのだよ、エイアイー。

生きていく上で大切なお金だが、詩情と結びつけることの難しさを感じる。

 

これを、元に短歌をつくるのは人間の私なんだが、どうしようか…

 

ステップ3 人間が仕上げて短歌を完成させ、投稿

上記のAIが出力してきたものの中から、三首選んで人間である私が短歌を仕上げる。

 ④人生最後の日 手にしたるは形無き富 お金は残さず死んだが悔いはなし

 〈短歌)桜桃の花の季節はひとときの宴のごとくさみどりに継ぐ/水の眠り

 

 ⑧手にした財 使いきれない分は分け与えよう 誰かのためになる方が良いだろうから

 〈短歌〉白い花小さな手からこぼれたらいっしょに持とうキミとゆく道/同上

 

 ⑨ 金がないことのほうが気楽な世の中に生まれたら 今頃僕はもっと自由に過ごせるだろうに

 〈短歌〉海原に漕ぎだす船の荷物などないほうがいい星をたよりに/同上

と、つくってみた。

ここまでできたら、投稿して人間選者の選評を待つ。

 

なんとAI評で「入選に値する」と選ばれていたことがあった。 かつて

第5回毎月短歌AI選評v01(monthly07_theme_AI_comments)

163首中5首の入選予備軍にAIから選ばれていた。 かつて

【選ばれた短歌とAI評】

バイト先胃袋しっかりつかまれて怖い女将に辞めると言えずに/水の眠り

まず、この短歌は「食」というお題を非常に独創的に扱っています。一般的なアプローチは、美味しそうなお料理やお菓子、あるいは季節の食材を取り上げることですが、この短歌は飲食業の現場における「胃袋」という視点を採用しており、そのユニークさはまず目を引きます。また、「胃袋」の表現自体も印象的で、バイト先の女性店主が客を惹きつけ、離さない強さを巧みに捉えています。

さらに評価すべきは、「怖い女将に辞めると言えずに」という表現です。このフレーズが持つユーモアは、作者の状況の苦しさと、それを客観視する冷静さがうまくミックスされているからこそ生まれているものです。「怖い女将」はバイトを辞めたいと思っている作者にとって大きな壁であり、「胃袋をつかまれた」状態は比喩として非常に的確です。しかし、作者は自分の「辞める」という弱音を店主に対して言えずにおり、それがさらに事態の難しさを増幅させているのです。

したがって、水の眠りさんの短歌は、独創性が高く、表現や内容も巧みであると評価できます。「食」を扱っているにもかかわらず、その視点やアプローチが斬新であり、しかもそれを非常に的確な言葉で表現しています。この作品が入選作に選ばれるべきであることは明らかです。

AIありがとう!

自尊感情さえも落ちに落ちているところ、よくぞ評価してくれた。

しかも、私の言いたいこと(歌意)すべてすくいとってくれて…(涙)

「入選歌を選べ」という指示を出していないのに(AI製作者が)AIが勝手に入選に選ばれるべきであることは明らかです。

だなんて、嬉しいー!

 

反面、ん?ってなった。

 

だって、その月の人間選者には誰一人として見向きもしてもらえなかったのである。

おい!

何のために短歌を読んだり、詠んだりするのかなぁ

好きな短歌に出会ったら、口に出して読みたくなったり、心の奥底で眠っていた感情が沸き上がったりすることがある。

それは、私にとって生活を豊かにしてくれるのだ。

自分で作る短歌は、その時の事象の記録。心象の記録のようなものだと思う。

もちろん、誰かに読んでほしい、認めてほしい、ほめてほしいという気持ちはある。

承認欲求という人間の正しい心の在り方だと思っている。

AIがどれだけ学習をして素晴らしい短歌を詠んだとしても、生身の私のような平凡な人間が詠んだっていいのだし。

そういうところを研究してらっしゃる方も何人もいらして、考察はその研究者の方々にお任せしたい。

そのお一人は、中島裕介さん

第41回現代短歌評論賞を受賞された論文がこちら↓

「〈前衛〉と実作―生成AI時代に、人が短歌をつくること」が発表されている。

 
結果、その時の人間選者の中島さんにも選んでもらえなかった、わたくしの歌

 

なんとか人間に選ばれたーい‼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『星を編む』凪良ゆう 著 愛のかたちって…

『星を編む』は前作『汝、星のごとく』の続編である。

前作は、現代の社会問題がたくさん盛り込められていた。

小説の中だけでなく、現実にある切実な問題として胸に迫るものがあった。

www.minminroom.com

前作で語られなかった物語の鍵になる主要人物「北原先生」の人間性がどうつくられてきたのか、一番知りたかったので「北原先生」ファンとしては興味深い。

 

 

第20回本屋大賞受賞作『汝、星の如く』を読んだ方にはおすすめの本です。

また、読んでない方にも愛とは?と語りかけてくる本です。

 

春に翔ぶ

この章は北原先生の家族関係のことが書かれている。前作では、北原先生の人物像がほとんどわからなかった。

主人公の高校生の櫂と暁海を献身的に助ける高校教師。

少し大人びた娘と二人暮らしだ。

教師と生徒というだけで、そこまで生徒の人生に立ち入り関わることができるだろうか。しかも、冷静で的確な判断。

その北原先生自身のことがほとんど明らかにされず、物語は進んでいく。

 

春に翔ぶの章では、北原先生の過去が明らかになる。

先生自身のかかえるジレンマやそこから解放されたいという葛藤。

先生自身の深い傷。

また、櫂と暁海に出会ったときにすでにいた娘の事など。

穏やかな瀬戸内の海のそばでくりひろげられる物語なのだ。

 

星を編む

私は、小説は読むけれど、この私にその本が手に届く過程を知らない。

 

この章では、出版業界のことが書かれている。

櫂は以前、原作 青埜櫂、作画 久住尚人で『ヤングラッシュ』という雑誌にコミックの連載をしていた。

才能ある二人を見出した、当時若手の植木渋柿は二人に寄り添い編集者を務めていた。

作品も好調で多くの読者をつかんでいた。

しかし、あることをきっかけにSNSで炎上、既刊は絶版。電子書籍も配信停止になった。

また、青埜櫂の文才を見出したもう一人の編集者、二階堂絵理は、彼の小説を世に出すことを心に誓っている。

 

コミックと小説を同時に再販、出版しようとする二人。

編集者というのは、何年も作家とともに作品をあたため出版する。

というとてつもない根気と努力が必要だった。

作家の原稿にダメ出しをしたり、良いところを根気強く伸ばしていく。

そして、商業戦線に乗せていくのは容易ではないことを知る。

出版にこぎつけても、取り扱ってくれる書店を開発していき、販売の最前線にいる書店員にその本の良さを分かってもらう。

 

これも、ひとえに編集者自身の情熱と何かを引き換えにすることも辞さない覚悟がいることなのだろう。

実際、どうなのかはわからないが。

出版するということの醍醐味と苦労の一端を覗いたような感覚だった。

 

波を渡る

 

ここでは、暁海と北原先生の人生が語られる。

それぞれ、もう若くなく彼らを取り巻く人々も同様に歳をかさねている。

前作で嵐のような恋愛が語られたあと、この二人の関係がどうなっていくのか。

どう人生がなだらかに進んでいくのか。

ここで出てくる人々は、世間でいう「普通」ではない。

それでもつながっていくのはなぜなのか。

 

愛は優しい形をしていない

愛は優しい形をしていない、それでも愛は。

これは前作でも語られた言葉なんだけれど。

愛とは

形でしょうか

状態でしょうか

与えるもの、与えられるもの

正しい形とは

いくつもの問を投げかけてくれます。

 

前作を読んだ方にはぜひ、おすすめしたい本です。

そして、愛について心細い方、迷っている方にも勇気を与えてくれる一冊になると思います。

 

映画を短歌とおすすめ文で紹介する「映画短歌空間」

趣味と言えるかどうかわからないけど、詩歌の世界に魅せられて創作を苦しみながら楽しんでいます。

昨年は、主に短歌に力を入れて勉強した一年でした。

その前は、自由律俳句、俳句、短歌と気ままに投稿し、下記の合同句集Ⅱにも参加させていただきました。

 

www.minminroom.com

 

ところが、自分の作品は人にどう映っているのか。

伝わっているのだろうか。

いや、別に伝わらなくてもいいのよ。

全部伝わらなくてもいいけど、同じ言語を持つ者同士伝え合いたいではないか。

欲を言えば、詩的な世界を紡ぎたい。

短歌は魔法って、誰か言ってたよね。

三十一文字の言葉で想像が無限に広がる、そんな一首を読んだことある。

あー、もう、もっと自分の作品をブラッシュアップしたい。

 

そこで、深水英一郎さんが運営されている短歌投稿サイト『コトバディア』の「A短歌会」に投稿を始めました。(無料!)

「毎日お題」やグループ別にいちごつみに参加して、何かしら短歌に触れることを自分に課し、まずは短歌の筋力アップに努めたいと思ってます。

 

「A短歌会」ではなんと、映画好きの人が集まってつくる「映画短歌空間」

という活動の場ができたのでそこに入れてもらって活動しています。入ったばっかりだけど…

 

今回、私も含めて5名で”期待してなかったけど、観たらめちゃ面白かった映画”

を紹介してます。

 

私は筆名「水の眠り」で『ドライブ・マイ・カー』を紹介しています。

ハルキストの方、ごめんなさいですけど。

mag.kotobadia.com

始まったばかりの「映画短歌空間」です。

またの機会で、ご紹介できるときはお付き合いお願いします。

 

『いちご畑とペニー・レイン』月波与生 真島久美子 著

『いちご畑とペニー・レイン』は『さみしい夜の句会』主催者の月波さんと合同句集第二集で講評をつけてくださった真島さんが川柳の「いちごつみ」を約三年にわたってお互いに送り合っ本である。

私にとって、ネットで短詩をつぶやくようになったきっかけが、『さみしい夜の句会』なので、ご本人の句集というのは興味があった。

 

www.minminroom.com

川柳って

 

しかし、川柳...

なんともハードルが高い。

 

というのも、俳句は季語に導かれたり助けられたりして、なんとかその体をなす。

なしてないかもだけど、それはご容赦いただきたい。

 

自由律俳句は、ピースの又吉直樹さんとせきしろさんの著書『まさかジープで来るとは』で「おもしろそう!」と思った。

 

 

短歌は、三十一文字というきまりがあるが、それ以外は特になく詠む人のセンスと詩情、読む人の心にくる歌がよい。短歌、難しい!(号泣)

この頃、厚かましくも自分の好き好きがあることに気がつき、たとえ評価がそんなに高くないお歌も「いいんじゃないのか…」なんて、心の中だけでつぶやいている。

ただ、全米が驚愕する二刀流で有名な大谷選手になりたいわけではない。

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけうまくなりたいんだよぉー!(苦悩中)

 

そして、川柳だ。

文芸の世界で「わからない」というのはご法度のようだけど(読みが足りない、分からないで切るな、と言われそうで怖い。ごめんなさい)正直、初心者としては「なんで?」「そこどうつながるん?」「この単語、どの発想から出てくるん?」・・・などだ。

申し訳ありません。勉強します。

そもそも川柳とは

川柳とは、季語や切れ字などの制約はなく、口語を用い、滑稽・風刺・機知などを特色とした十七字の短詩。かわやなぎ

点者 柄井川柳(からいせんりゅう)の名前に由来する。
川柳は、江戸中期に口語詩として流行した雑俳で、俳句の「前句付け」の付け句が独立したもの。
前句付けの名高い点者であった柄井が、付け句の独立性を重視したことにはじまり、柄井の撰による句は「川柳点」と呼ばれた。
そこから、このような十七字の短詩も「川柳点」と言うようになり、短詩そのものは「川柳」と呼ばれるようになった。

                        引用:語源由来辞典

ということで、ちょっとわかりづらい。

しかし、「サラリーマン川柳」とか「シルバー川柳」「お~いお茶川柳」などは聞き覚えがあるのではないか。

 

えっ、おもしろい

いよいよ本作

お待たせしました。

ルールは「いちごつみ」なので、前の人が作ったものから一語をもらってつなげて作る。

手錠痕消すジプシーのラップ音               与 生

 

 ハニートラップ彩色になれたかい              久美子

          

閉店のコンビニで見る北星                与 生

            

コンビニで気付く大陸移動説                久美子          

 

              引用:『いちご畑とペニー・レイン』

いかがですか。しりとりみたいですね。

一句目「ラップ」→二句目「ラップ」をつむ→三句目「極」をつむ→四句目「コンビニ」をつむ→→→と続いていきます。

どうですか?

ルールはわかっても「なぜその言葉よ」と思うのは私だけでしょうか。

 

なんとなくわかるあなたは、センスありです。

(私が認定することではありませんが)

 

■勝手な解釈■
  • 手錠痕は形状なので、たとえジプシーでもラップ音で消せないよ、でもジプシーとラップってなんかかっこいいよ。
  • ハニートラップにひっかかった方、かわいそうですね。純情を返せ!もう極彩色のサイケの世界に行ってやるしかないよね。
  • 閉店のコンビニでバイト帰りに見る北極星は、僕の人生の羅針盤になれるのかしら。
  • いくら、何でもそろうコンビニだって大陸移動説に気付く書物は置いてあるのか、いやそこにいる、ずっといる自分が大陸移動説を感じていたのだ。

と、私は解釈しました。

作者は、どのような意図があったかわからないけれど、世に出たものは読む人それぞれの背景があり、作者が思ってもみない解釈をして、それはそれで楽しいもの。

 

おすすめポイント!

  1. 川柳、短歌、俳句などの短詩文芸は、初めのページから順に読まなくてもいい。しかも短いので、開いたページから読んでも楽しめる。
  2. 川柳の本の中でも読みやすい。読みやすい形で書いてある。川柳によっては、その一句が形として在るので、難解。
  3. 著者のお二方のお人柄がなんとなくわかる。二人でおしゃべりされているようで「あ、そこ、こう来る?」なんて思いをはせて、どんな方なのかお会いしたくなる。

 

お二方がベテランの柳人でいらっしゃるということで、とてもリズムよく読めました。

のど越しがいいというか、ごくごく入っていく感じです。

三年以上の年月をかけ編まれた句集で、途中ご苦労もあったかと思いますが、お二人の語彙力、単語をくっつける相性の見つけ方、など学ぶべき点がたくさんありました。

 ひとりごと

で、表紙イラスト・デザインは、久保田寛子さんなのです。

今後、「満天の星」より久保田さんのポストカードの販売もあるそうなので、楽しみにしています。

 

A4くらいのポスターとか、版画とか「満天の星」が販売窓口になってくれたらうれしいなぁ・・・

なんちゃって、ひとりごとです。

 

「さみしい夜の句会 第Ⅱ集」発刊。合同句集だから良いところ。

「さみしい夜の句会 第Ⅱ集」が刊行され、そこに参加させてもらいました。

注文していた本が届き、中を開いてみたら何ともクレージー(ほめてます!)

もう、カラフルな宝箱のような内容です。

 

 

「さみしい夜の句会」とは

「さみしい夜の句会」は、ネット句会の一つで私も投稿している。

中の人の月波与生さんは、24時間365日 #さみしい夜の句会 というハッシュタグをつけてつぶやくことができる場所をつくってくださった。

もともと川柳をされている方なのだが

「コロナ禍で自殺者が増え、セーフティーネットであるインターネット文芸が機能してないじゃないか」

と、思ったのがきっかけだということ。

こんな素敵な句をつくる方だ。

■月波与生■
痛む方の手で痛がる人を撫で

文芸は、人を助ける。

根本的な悩みを解決するわけではないが、越えられない夜をどうにか越えさせてくれると信じてる。

実際、句会も開かれなくなったり、学校、会社の過ごし方も変わったりで、人と会う機会が減り内にこもりがちのコロナ禍だった。

そこで「川柳」「俳句」「短歌」「自由律俳句」「詩」などの短詩を投稿できる優しい場所をつくってくださって、一週間に一度その週に参加した全員が最低一つは載る句会報の発行がある。

ネットの中で開かれた句会。誰もが抱えるさみしさや小さな喜びを受け止めてくれる句会。

中の人、月波与生さんの強い意識に導かれている。

本のはじめのあいさつ文から鳥肌が立った。

 

作品が肩代わりしてくれる

 

私は日ごろ、思ったことを口にすることが苦手でため込んでしまうところがある。

特に、ネガティブなことや不平不満なんだけど、だからと言って何もないわけがない。

生きてるんだから。(人間だもの みつを的なですよ)

 

第Ⅰ集は眺めた。

で、第Ⅱ集(今回発刊)は、参加した!

募集が昨年の12月だったから、たくさんたくさん悩んで勇気を振り絞って参加表明をした。

もう、それだけで自分的にはほめてやりたい。

なぜなら、短詩界隈ではものすごく有名な方や高いレベルの方たちが精力的に活動されている。

その中で、「自分なんて…」(下手なので)という気持ちとエネルギーに圧倒されている気持ちが、入り混じっていた。

でも、ネット句会に投句しているけど紙に残したいという気持ちもある。

 

「ギリギリ間に合いましたよ」という月波与生さんのメールをいただいときは、震えた。

 

というわけで、今回の「さみしい夜の句会第Ⅱ集」に私の短歌、俳句、自由律俳句の作品とエッセイを載せていただきました。

 

投句専用にアカウントをつくっていたので、それをそのまま俳号、筆名として使っている。

大好きな作家の桐野夏生さんの小説の題名「水の眠り 灰の夢」から『水の眠り』をいただいた。

 

もしも、あなたが短詩の世界に興味を持たれたら面白いことあるよ

 

#さみしい夜の句会 をつけて俳句でも短歌でも川柳でも詩でもつぶやいてみたらいいと思う。そうすると、同じハッシュタグをたどって見に来てくれる方もいらっしゃる。

実際、私が投句しているタイムラインではいろんなイベントが開催されている。

例えば、『短歌の日』ということで5月7日(五七の日)にちなんだ即詠大会や「さみしい夜の句会」や他のネット句会合同のイベントなどがおこなわれていた。

 

また、「短歌の感想を書かせてください」

という募集があり、お願いしたらこのように私の短歌を丁寧に解釈して、広げてくださる方もいらして、恐縮至極である。

note.com

自分の短歌をこのように大切に扱っていただけるなんて、大変光栄だ。

 

人の短歌を解釈する、評するということは、とても難しい。

それなりの力量がないと安易にできないのは十分わかっている。

だから、私の場合は「ええっ!すごい!」「こんな発想があるんだ!」くらいしか言葉が見つからない(語彙力のなさよ)ので心の底だけでつぶやいている。

 

また、川柳の西沢葉火さん主催の#葉火句会に投句したところ次点句に選んでいただいた。

 

お題が井上陽水の「傘がない」だったので、よく聴きこんで投句した。

川柳は、苦手意識があるけど、ある方が「どんどん自分の作品をばらまいたらいいのですよ」と言ってくださったので、いろんなところに顔を出すようにしている。

私も自分に表現の方法として何があっているのか模索中である。苦しいけど、楽しい。

 

また、それだけではなくデザインと短歌をされている方もいらして下のようなデザイン短歌を作ってくださった。

これは、宝物ですね。

 

合同句集が良いわけ

 

今回紹介した本『さみしい夜の句会 第Ⅱ集』には、たくさんの歌人、俳人、柳人の方の作品が載っている。

その中から、こんな作風が自分は好きだなとか。

この作品に心惹かれるとか。

単独の個人の歌集ではないからこそ、いろんなテイストが味わうことができる。

そして、ご自身も作ってみてください。(詠んでみてください)

そうしたら、言葉の持つ意味、制限のある字数の中で何を伝えようとしているのかがもっとわかるようになります。

 

特に音楽関係の方、リズムが体に打ち込まれているでしょう。

五七五、七七は日本語を母国語に持つ者にとって心地よい言葉のリズムだそうです。

歌詞もそうなっているものが多いとか。

相性がいいと思います。


さみしい夜の句会第Ⅱ集 月波与生編 短詩集
 

最後に

今回の表紙イラストも第Ⅰ集と同じく久保田寛子さんです。

表紙は同じかなーと思ったら少し違ってました。

その違いに何か意味があるようで、想像するのも楽しいです。

 

そして、「卑弥呼の里川柳会」の真島久美子様一人二作品ずつに句評を書いてくださってありがとうございました。

大切に胸にしまって、どこまで続くかわからないですけど精進いたします。


さみしい夜の句会第Ⅱ集 月波与生編 短詩集
 

 


さみしい夜の句会 月波与生編 短詩集Ⅰ